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父を知らない夫が、長女の思春期で気づいたこと

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「父親って…何すればいいのかな。」

その言葉を、何度聞いてきただろう。
そのたびに…。
夫は”考える前に”そっと話題を変えて、考えることから逃げてきた。

彼は母子家庭で育ち。
父親という存在を知らない。

自身の生い立ちから「父親とはこうあるべき」
というイメージを持たないまま、
わたしと結婚し、父になった。

そして十年以上――夫は”父親”ではなく、
“長男”として家族の中にいた。

「父親ではなく、長男として生きてきた」夫

思い返せば、結婚当初からそうだった。
何か困ったことがあっても、自分で抱え込み、
「大丈夫」と言いながら後回しに指定しまう。

子どもたちが何かを求めても、
どこか他人事のように距離を取る。

同じ家の中にいるのに…。
“そばにいても、頼れない存在”
気がつけば私の中ですでに定着していった。

それでも夫は悪気があったわけではない。

「父親としての正解が分からない」――
それが、夫の中でずっと重たくのしかかっていたのだと思う。

彼にとって”家族”とは、
実の母を助けながら「長男」として支えるもの。

家族を守ること。寄り添うことすら…。
「お父さん」としてではなく「息子」としての主軸で
私たち家族との時間を選択し続けてきたように思う。

長女の思春期がつきつけた“現実”

そして今、長女が中学生になった。
言葉の端々に反抗心が見え始め、
家庭の空気も少しずつ変わりはじめている。

ある日、夫が娘にちょっとした注意をしたとき…。

「パパにそんなこと言われたくない」
「いまさら父親ヅラしないで!」

強く言い返されていた。

夫は無言になり、娘に何も告げずそのまま去っていった。
その背中を見送ったとき、私は気づいた。

長女から、ど・ストレートの反抗心に抗う
“父親像”を持ち合わせていなかったのだと思う。

父親としての時間が、自分には存在していなかった。
「自分にはわからない」と思い込んだまま、
十年以上___父親であることを避けてきた。

けれど…。思春期の娘の言葉は、
彼にとって”逃げてはいけない現実”を、
正面から思いっきり突きつけてきた。

「父親として向き合う」ことから逃げない

その夜、夫は珍しく自分から話を切り出した。

「俺、父親ってどうすれば良いのからないまま、ここまで来てしまった気がする。
 父親がいなかったことを…。ずっと言い訳にしてきたのかもしれない。」

正直…。
何を今更としらけている自分もおりますが。

「これも未来の子供たちのため!!!」

妻からのかなり厳しい眼差しに変化はありませんが、
彼にはできることから、
がんばってもらいたいと思います。

でも、まぁ…。その気づきこそが、
“父親に挑戦する”最初の一歩なのかもしれません。

そもそも、父親らしさとは何でしょう?

私自身も、ふと考えることがある。
“父親らしさ”って、一体なんだろう。

厳しく叱ること?
経済的に家族を支えること?
子どもの前で堂々としていること?
DIYを上手にこなせること?
ママの暴走を体をはって食い止めること?

世の中では「理想の父親像」がいくつも語られているけれど、
どれも完璧すぎてしまい(汗)
彼が我が家にふさわしい父親に育つには…。
ハードルが高すぎる気がします。

でも、夫を見ていて思います。
本当に大切なのは「正しい父親像」を知ることではなく、
“我が家なりの父親のかたち”を見つけていくことが
初めの一歩なのかもしれません。

父を知らない彼にとって、
「父親になる」とは”ゼロ”から形を作ること。
それは、他の誰かの真似ではなく、
家族と共に作り上げていくものであると願います。

娘たちが見たいのは、立派な父親像ではなく、
不器用でも迷いながら成長していく「ひとりの父」の姿。
それを見せてくれるだけで、私たちは十分なのだ。

「過去を悔いる」ことから、成長は始まる

過去は消せない。
でも、過去とどう向き合うかで、人は変われる。

夫が長年逃げてきた「父親」という役割は、
今、彼の中でようやく形を持ち始めた。

娘のストレートな反発にショックを受けながらも、
その痛みを正面から受け止めようとしている。

うまく言葉にできないけれど、
不器用ながらに歩み寄ろうとしている。

そして…。これこそが、父親としての”成長のはじまり”だと思う。

家族は、完璧な父親など求めていない。
過去を悔いながらも、「今」をどう生きるか――
その姿を見せてくれることこそが、
子どもたちにもきっと…伝わるのだと思う。

父親としての覚悟――家族とともに“父親の役割”を育てていく

長女の心は複雑になり、次女はその背中を見ながら育っていく。
夫もまだ戸惑いながら、少しずつ変わり始めた。

「父親らしく」ではなく、「父親として生きる」

それは、教科書では教えてくれない道のり。
それでも、向き合うことをやめなければ…。
いつか、きっと形になっていく。

父親を知らずに育った夫が、今ようやく”父親になる覚悟”を持った。
その姿を、娘たちはちゃんと見ている。

そして私も、近くで見守り続けたい。
“長男”としてではなく、”父親”としての彼を。

我が家の凸凹家族の物語は、
今ここから…もう一度始まっていく。

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