✔️小学校入学と同時に始まった子どもの自傷を、
親がどのように理解していったのか
✔️支援級に入れば安心だと思っていた
親の認識が変わったきっかけ
✔️子どもの自傷が、
置かれていた現実を示す行動だったと
気づくまでの過程
✔️子どもは言葉ではなく行動で伝えてくることがある
という実体験からの気づき
小学校入学と同時に、
はるごんは自分を傷つけるようになりました。
それまでに、見たことのなかった行動です。
最初のうちは__。
血が滲むほど短い爪をさらに噛む。
髪の毛をむしる。
その場に居合わせた際には、
突然、どうしたのかな?とは思いましたが、
成長に伴う”癖”のようなものだと思い、
深く考えないようにしていました。
「痛くなっちゃうよ。やめようね。」
軽い声がけを継続していれば、
いつかは無くなるだろうと安易に思っていました。
振り返ってみれば__。
あの頃、私は保護者として
余裕に満ち溢れていました。
この春から「特別支援教室」への在籍が無事に決まり、
さぞや手厚い支援を受けられるのだろうと__。
盲信していたのです。
この3年間__。
積極的に療育へ取り組み、
指摘されていた1歳6ヶ月ぶんの発達遅れを、
6ヶ月へ縮めての入学が実現。
子どもにベストな環境を
正しく選択し続けた結果であると、
自負さえしていた時期です。
その上で__。
支援学級の担任は
「支援のプロ」だと思い込んでいたので、
発達障がいの知見があり、
子どもたちをよく理解してくれるはず。
だから。
任せておけば大丈夫!と
ウカれていたのだと思います。
だって私は___。
これまでも、これからも。
はるごんにとって、いちばんの理解者なのだから。
小学校入学と同時に始まりました

1年生の新学期早々___。
学校からの電話で、
担任から衝撃的な事実を告げられます。
授業中にはるごんが自傷行為をしている。
「次回もしも、自傷行為を確認した際には
どのように対応すればいいか教えてほしい。」
と問われます。
これまでにも授業中に突然、
泣き出すことなどは多々ありましたが、
担任が告げる自傷行為___。
太ももや腕から血が滲むほど、爪で強く引っ掻く。
髪の毛を引き抜く。
机に額を打ちつける。など、
これまでには全く見られなかった行動でした。
突然知ることとなった、子の変化。
わたし自身の戸惑いの方が大きく__。
“きっと今回だけだと思います。”
大きな問題と思われたくなかったこともあり、
思わずやり過ごしました。
そのうち落ち着くだろう。
新しい環境に慣れれば、なくなるだろう。
そう願いながら___逃げました。
大切なものが壊れていく瞬間を、
正面から受け止める勇気があの頃のわたしには、
ありませんでした。
支援学級に入れれば___大丈夫だと思っていた

小学校入学前から療育に通い、
はるごんの特性は誰よりも
理解しているつもりでした。
願わくは通常級で!と思いつつも__。
現実的ではないと考え直し、
入学時から支援学級を選びました。
支援学級に入学すれば、
子どもに寄り添った支援が受け続けられる。
はるごんが無理をせず、
自分らしく過ごせる環境が整う。
そう信じていました。
支援学級を選択したことで、
安心しきっていたのだと思います。
▶︎支援学級の実情については別の記事にもまとめています。
支援学級の先生はプロだと思っていました
支援学級の先生は__。
発達障がいに知見があり、経験も豊かで
どんな支援が子どもたちに必要であるかを、
よく知っているはずだと盲信していました。
どう関わればいいか。
どう対応すればいいか。
先生なら誰でも、
分かっているはずだと思っていました。
はるごんの担任の先生は__。
とても優しく、誠実で寄り添ってくれる先生でした。
ある日、
授業中に自傷行為があったとの報告を受けました。
そして、尋ねられました。
「もしも次回、自傷行為を確認した際には
どのように対応すればいいか教えてほしい。」
その言葉を聞いたとき、
いちばん最初に変わらなければならないのは、
わたし自身なのだと痛感しました。
私は見て見ぬふりをしました
最初の頃___。
娘の自傷について深刻に受け止めきれませんでした。
危ない行為だとは理解しています。
すぐに、やめさせなければいけない。
同時に、
大きな問題にはならいと__。
願っていました。
環境は整っているはずだ。
療育でも小学校の練習は繰り返してきた。
支援学級にいるのだから__きっと大丈夫なはずだ。
そう考えることで、
現実から目を逸らしていたのだと思います。
自傷の報告と前後する時期から__。
保育園時には一度もなかった
「おねしょ」を繰り返すようになりました。
うちの子、何かがおかしい__。
おかしくなってしまった理由がわからず、
藁にもすがる思いで・・・。
卒園したての療育先へ駆け込みました。
療育先でこれまでの経緯を相談した際、
かなり厳しい叱責を受けました。
大人になってから、今日まで。
ここまで誰かに叱られたのは、初めてです。
相談した結果、分かったことは__。
はるごんには今、
とてつもなく大きなストレスがかかっている可能性。
環境を変える必要があること。
その時の先生の言葉は今でも覚えています。
「整っていると思っているなら、
それは勘違いだと自覚しなさい。」
「現実から目を逸らしてはいけない。」
その言葉で、我に返り
これまでの認識の甘さに意気消沈しました。
小学校生活を小さく組み直す

当時のことを思い返すと…。
今でも吐き気が込み上げてきます。
いったい、何から変えていけばいいのか__。
悠長に頭で考えている余裕はありません。
できることを片っ端からやるべし!
家庭内では、異変を目の当たりにする
場面が少なかったので、
小学校生活の変更を優先的に行いました。
まず初めに__。
それからの1年間、徒歩で登下校を共にしました。
朝は教室まではるごんと一緒に行き、
1時間目が始まるまでを見届ける。
文章にすると、とても短いのですが・・・。
現実はこんな感じではありません。
家から学校へ連れ出すまでにまず時間がかかり、
学校到着後___。
いつまでもぐずり続けるはるごん
VS
1秒でも早く出社しなければならない母
気持ちの切り替えがうまくいかず、
数時間分の授業が終わるまでひたすら
子の背中を見守った日もあります。
学校が終わると、
敷地内の学童クラブへ預ける予定でしたが__。
お友達が少ない学童へあまり行きたがらない様子。
保育園の慣らし保育を思い出し、
最初は30分の滞在から少しずつ学童へ
馴染める環境を準備していきました。
小学校へ直接出向く機会が以前より増えましたので、
担任の先生と日々、些細なことであっても
情報を共有できる時間が累積されました。
今思うと__。
この繰り返しが、
学校生活の見直しに大きく役立ったように思います。
他に、1年生の1学期は交流授業を控えめに設定。
関わる人数を絞り、
少人数での学校生活に組み直しました。
板書が苦手と判明し、
板書を必要最低限に抑えた
授業の組み立てを実施してもらえたことは、
今でも感謝しています。
✔️担任とのコミュニケーションを欠かさない
✔️小さな出来事こそ、共有してもらう
✔️新しいことは、成功を経験させてからやらせる
✔️何が苦手かを事前把握する
全ては次の自傷へつながらない様に、
子どもにとって無理のない形を模索していきました。
夏休み中も、学童クラブを利用しながら学校生活と
同じ生活スケジュールで過ごすように努力。
おかげさまで、
2学期の始業式後に大きく乱れることはなく__。
2学期以降、自傷行為の報告はありません。
1年前とは違う春が来た

1年生最後の登校日。
はるごんが言いました。
「もうすぐ2年生になるから、
ママは一緒じゃなくていいよ」
毎日一緒に登校していた子が、
自らそう宣言するのです。
翌朝から本当にひとりで登校していきました。
2年生になったときの変化は、
1年前とはまったく違います。
あのはるごんが、
新しい環境をすんなりと受け入れたのです。
その姿を目にしたとき__。
子を信じる。
友に歩む。
ようやく言葉の真実を、理解できた気がしました。
自傷は現実を示していたのだと思う
あの頃の私は、
自傷を止めさせることばかり気にしていました。
危ない行動だから今すぐに、
やめさせなければいけない。
それが正しいと思っていました。
今でこそ想うのは__。
あの行動の全てに、意味があったのですね。
はるごんが置かれていた現実が、
しっかりと示されていたのだと思います。
小学校は、子にとってまだ…。
安心できる場所ではなかったのかもしれません。
本人はそれをうまく言葉にすることができません。
だからこそ行動で示していたのでしょう。
子どもは行動で伝えてくることがある
支援級に入れれば、
全てうまくいくと思っていました。
先生は支援が必要な子どもたちのことを、
深く理解しているはずだと思い込んでいました。
任せておけば、大丈夫だと信じていました。
現実では、全てが__。
違っています。
子を誰よりも理解しなければならないのは、
親なのだと気づきました。
小学校入学と同時に始まった自傷行為は__。
止めさせるべき問題行動などではなく、
子どもが置かれている”現実”そのものだった
のだと思います。
言葉では説明できない苦しさや不安を、
はるごんの方法で伝えていたのでしょう。
子どもは、時に言葉ではなく行動で伝えてきます。
そしてその声に気づくまで、
いちばん時間がかかるのが__。
保護者なのかもしれません。



コメント